長六橋はなぜ残らなかったか?
2006年9月30日(土)- 新 長六橋 -のよく見えるリバーサイドホテルで<長六橋研究会最終レポート>と題した報告会があり参加しました。
慶長六(1601)年,加藤清正が架けた長六橋
熊本城下を守るため白川に他の架橋は許されず
幕末まで唯一の橋だった交通の要所
西南戦争では薩摩軍もここを進撃し
1953(昭和28)年の熊本大水害では白川に唯一残った橋だった
1990年に竣工した新長六橋は
手作り高欄や4体の裸婦像などで独特の雰囲気を醸し出している
移築のために保管中だったが移築を断念された、旧長六橋(1927年架橋)は
当時現存していた日本最古のタイドアーチ型鉄橋だったという
近頃、その橋の命ともいえる、銘盤が見つかったそうです。
その経緯がHPで見つかりましたのでリンクしておきます。
長六橋の銘盤はが無事保管!の記事
レポートの編集委員会は
山田譲先生(編集委員長 九州東海大学)
石井清喜氏(元熊本市顧問)
西嶋公一氏(熊本まちなみトラスト会長)
藤本秀子氏(熊本大学五高記念館)
富士川一裕(人間都市研究所)
慶長六(1601)年,加藤清正が架けた長六橋
熊本城下を守るため白川に他の架橋は許されず
幕末まで唯一の橋だった交通の要所
西南戦争では薩摩軍もここを進撃し
1953(昭和28)年の熊本大水害では白川に唯一残った橋だった
1990年に竣工した新長六橋は
手作り高欄や4体の裸婦像などで独特の雰囲気を醸し出している
移築のために保管中だったが移築を断念された、旧長六橋(1927年架橋)は
当時現存していた日本最古のタイドアーチ型鉄橋だったという
近頃、その橋の命ともいえる、銘盤が見つかったそうです。
その経緯がHPで見つかりましたのでリンクしておきます。
長六橋の銘盤はが無事保管!の記事
レポートの編集委員会は
山田譲先生(編集委員長 九州東海大学)
石井清喜氏(元熊本市顧問)
西嶋公一氏(熊本まちなみトラスト会長)
藤本秀子氏(熊本大学五高記念館)
富士川一裕(人間都市研究所)
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